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<第一章 疑惑>

「もしかして・・・浮気?」
ある日、ピンときた女の勘。
これが私の思ってもみなかった冒険の合図でした。

私、藤井奈津子は東京のアパレルメーカーに勤めていて、主人は富山県に単身赴任中の週末婚。幼い娘を働きながら私ひとりで育てていました。


勤めていた会社は、福利厚生がしっかりしていて、女性社員の産休・育休の取得率はほぼ100%。就活時から、女性に優しい会社として説明があったこともあり、私も先輩たちのように当たり前に出産をする際は休みを取ったり、定年まで働くものだと思って入社しました。


会社には、私の家庭の事情を伝えていて、時短勤務や子どもの病気による休みなど、チームの方にフォローしてもらって、本当に助けてもらっていたんです。


しかし、2人目の出産の時からなんだか雰囲気が変わってきます。
復職にあたっての面談で、元いた部署に私の席がないという話を聞くんです。


私 「あの・・・私の席は?」
上司 「急で悪いけど、君は旦那さん単身赴任だし、まだしばらく帰ってこないんでしょ?お子さんを一人で育てるのは大変だろうから、営業より時間に融通が利く事務にならないか?」
私 「あ、はい・・・」


その面談のあと、4月に子どもを保育園に預けて復職すると、私の席には4月入社のかわいい新入社員が座っていました。
〝彼女が悪いわけじゃないから、話しかけるなよ〟と通りがかりの上司に念押しされる始末。


私 「・・・(いいけど、いいけどさ。これまでやってきた私を使うより、1から育てる新入社員の方が使いやすいってことでしょ。まぁ、そうだよね。会社のためだし、仕方がない。別に話しかけたっていじめたりしませんよ!)」


この人事で誰かが不幸になるものではないし、私だってそれがいいのだと、頭ではわかっている。

ただ、この選ばれないという虚しさが、ずっとぬぐえなかったんです。


〝私はあの子より価値がない〟
〝会社の役に立たないお荷物のような存在〟
〝みんなが私を可哀そうという目で見てる気がする〟


これまで入社からずっと自分なりに頑張ってきたつもりです。
同期の中で私だけが取り柄も学力もなかったからこそ、何とか認められたいと思って、真面目に頑張ってきたけれど、


私 「子どもができたらこんな扱い?頑張るっていったい何なんだろう。」


家では毎朝、代わる代わる大暴れしている1才3才の娘たち。
東京の下町、マンションの下の階に住む気のいいおばちゃんの管理人さんに
〝今日はどっちが大変?子どもは泣くものだからうるさくしたっていいからね〟
と優しい声をかけてもらうだけで、朝から私が号泣するくらい、私はいつも気を張って、時間に追われて、誰かに恐縮して緊張して、何もうまくいかない。


娘たちを電動自転車の前と後ろに載せて、ダッシュで保育園に送り、保育園では誰とも会話を交わすこともなく、ダッシュで会社に向かう。
地下鉄に飛び乗って、ようやく一息ついて
私 「・・・よかった。これで今日も一日が始まる」


夜は夜で、大暴れの子ども達にご飯を食べさせて、お風呂に入れて、ケンカしたりぐずったりして泣く娘たちに〝泣きたいのはこっちだよ!〟とイライラしながらも、全ての手を止めて、泣き止むまで抱きしめて、なんとか寝かしつける。
疲れ切った私も一緒に寝落ちしては、次の朝、また散らかしっぱなしの部屋からスタートする繰り返し。とにかく、やるべきことさえ満足にできない日々。


私 「子どもなんて嫌い。ムリ。子育てなんて私にはできない!」


会社で孤独を感じはじめていた私は自分に自信もなく、ゆっくり鏡を見ることも、スキンケアをする余裕もなく、それまで〝頑張っていれば認められる!〟と思っていたけど、今では私の信じていた未来も、自尊心も、ここではないどこかに行ってしまったみたい。


そんな今の生活に限界を感じ始めた週末、いつものように主人が富山から東京の家に帰ってきました。


私 「んー?何かちがう・・・」


いつもなら主人も私と同じように、日々の仕事や移動で疲れている様子なのに、今日は雰囲気が違う。なんかキラキラしてる。
鏡の前にいる時間が長い。
いつも着ないピンクのシャツを着ている。
普段も休みでも仕事の電話をしてるけど、いつも笑わない男が楽しそうに話している。この電話から漏れてくる声、どうやら相手は女性っぽい。


私 「もしかして・・・浮気?」


以前だったらこの場で問い詰めていたかもしれない。
でも、その時の私にはそんな気力もなくて


私 「・・・(あぁ、終わった。私は捨てられるんだな。)」


仕事にも家庭にも絶望を感じながら、笑顔で電話を切った主人に


私 「ねぇ、相手はせめて私より若くてかわいい子にしてくださいね」


と、せめて消えかけている私の自尊心が傷つかない相手でいてほしい、という願いを込めて小さな抵抗をしてみる。すると


主人 「はぁ?なにが?」
私 「どうせさ、私は価値がなくて、会社にもあなたにも捨てられるんです。でもね、慰謝料はあなたからも相手からもきっちり頂きますから!」
主人 「ちょ、ちょっと待ってよ。なに相手とか、慰謝料とか」
私 「え、だって富山で浮気してんでしょ?」
主人 「してないよ!」
私 「じゃ誰、今の電話。そんなニコニコしながら女と電話して、今日だって鏡ばっかり見てなんか色気づいてるし、私が買っていくら勧めても着なかったピンクのシャツ着てるじゃん!
そういえば、最近仕事って言って、朝早かったり遅かったりしてるよね。本当に仕事してるの?私には電話してこないのに、なんで他の女とは電話してんの。
私はこんなに毎日苦しいのに、なんで急にそんなカッコよくなっちゃってんのよ!好きな人いるんでしょ!!」
主人 「ははは!すごい想像力だな。楽しそうになんて話してかなぁ。
言ってなかったんだけど、今ちょっと高額のビジネスセミナーを受けてて、その中で勧められたパーソナルカラー診断ってやつを受けてさ。似合う色にピンクがあったから着てみたんだよ。ピンクなんて嫌いだったけど、着てみると悪くないね。」
私 「ビジネスセミナー?パーソナルカラー診断?」
主人 「うん、君も受けてみたら?」
私 「え?どっちを?私がダメだから?」
主人 「そういうわけじゃないよ。どっちでもいいけど、僕がいいと思ったから、君にもいいかなと思ってね」
私 「本当に浮気じゃないのね?私のこと捨てない?」
主人 「何、捨てるって。捨てられたいの?」
私 「やだー!捨てないでー!!じゃ電話の女は何よ。笑ってたじゃん」
主人 「電話の人は一緒にセミナー受けてる仲間で、最近僕の仕事がうまくいってるから、つい報告するのが嬉しくなっちゃってね。」
私 「何その報告って。その人にしないといけないことなの?そんなに嬉しいなら私に話したらいいじゃない」
主人 「それもそうだなぁ」
私 「もう誰にも相手にされないから、あなたに捨てられたら生きていけないよ・・・」
主人 「どうしたの、急に興奮しちゃって。まぁでも、捨てられたくないみたいなの、あんまり好きじゃない。自立しなよ。」
私 「自立ってなによ・・・私だって、昔は調子よかったんだから。」
主人 「じゃもう一回いい調子に戻ってさ」
私 「うるさい!でも・・・セミナーはよくわかんないけど、パーソナルカラー診断は昔から興味あったの。紹介してぇ」

 

<第二章 新たな始まり>

次の休みに、パーソナルカラー診断を受けに行って、私に似合う色とスタイルを教えてもらったんです。

私 「私ってこんな色が似合うの~♡いつぶりだろ~私、こんなに優しい顔してる~」

と久々に上機嫌になっていると、主人からメールが届いていたんです。
驚くことに私の後に、なんと主人がいつもニコニコ電話をしている女性が診断の予定だったらしく、私を待っているというんです。直接対決。緊張の瞬間・・・
金子 「藤井さんの奥さんですよね?」
私 「あ、はい・・・(なんだよ、せっかく診断楽しかったのに)」
金子 「金子と申します。旦那さんにはいつもお世話になっています。この時間に奥さんが来ているって聞いたので、お会いしたくて早く来て待ってたんです。いつも奥さんの話を聞いていたので、お会いできてうれしいです」
私 「主人がお世話になっています・・・(いつもどんな話聞いてるわけ?」)
金子 「奥さん、カラー診断どうでしたか?私これからなんです」
私 「あぁ、新しい自分を発見したっていうか、本当に楽しかったです!(ん~私より年上な感じだけど、なんだろこの人もやけにキラキラした感じだな)」
金子 「奥さんもセミナー受けるの?」
私 「いや、私はそういうのよくわからないんで・・・(いや、受けないだろな。社長ばっかって言ってたし)」
金子 「そうなの?私は子育てもう落ち着いたけど、子どもが小さい時に
こういうセミナー受けてたら子育て楽しめたかなって思ったんだよね。」
私 「子育てが?楽しい?・・・」
そして一瞬で頭の中をこんな思いが巡ります。
・主人のように仕事でのやりがいを見つけて、キラキラしたい!
・今の自分をなんとか変えたい!
・怪獣のような娘たちのことを少しでも可愛いと思いたい!
私 「私・・・それ・・・受けます!」

◆高額ビジネスセミナーでの学び

金子さんの〝子育てが楽しくなる〟という言葉で、そのビジネスセミナーが何をするところかわからないまま、受講を決めた私。
そして次第にこう思うようになっていきます。
私 「主人がキラキラしててカッコよくなっちゃったのに、私が何もしなかったら置いていかれるかもしれない。 
私だって、キラキラしたい!!私の人生こんなもんじゃない!!」
セミナーを受けると決めてから私は、とにかく今の自分を変えようと必死。
ただ、会社の社長や経営者の方たちが集まるビジネスセミナーに、仕事に対する目標が一切ない〝ただの浮気されたくない主婦〟という、藤井さんちの奥さんという肩書の私が一人混じっちゃって。
私自身、その場所がソワソワして落ち着かないし、内容は難しくて全然わからない。講師の顔は怖いし、はじめからなんか相手にされてない感じがする・・・
私 「でも何も変わらないままでは帰れない。私だって、人生変えるためにきてるんじゃー!高いお金と時間を使ってきているんだから、このまま帰れるか―!!」
気合を入れた私は、セミナーに対して、前のめりで受講していると、女性受講者のみんなが憧れのまなざしで見ている女性講師から、次第にこんなことを言われるようになります。
講師 「藤井さん、うるさいわね。空気読めないの?」
私 「すみません・・・」
講師 「藤井さん、感情をコントロールしなさい。あなたは迷惑です!」
私 「すみません・・・」
また、違う機会に2人で話す場面では
講師 「私はあなたのことはわかりません。多分、時間の無駄だと思いますけど、あなたが話したいと言うなら話しましょう」
私 「わからない・・・ですか・・・(私だって子どもを預けて時間作ってきてるのに、そういう言い方ってある?みんなには何でも相談しにきてって言ってたのに、みんなに対する顔と私に対する顔が違い過ぎじゃない?)」
講座を終えた帰り道には
講師 「あなたって家族を愛していないのね。お子さんが可哀そう・・・」
私 「・・・はぁ(どうして子どもがいない人に私の子どもが可哀そうだなんて言われないといけないの?私は頑張って今を変えたいと必死なだけなのに、どうしてケチつけてくるの?私ってそんなにダメな人間なの?)」
セミナーの帰り道、私は歩きながら涙が止まらず、自問自答を繰り返しました。
私 「私はなんてダメなんだろう。ダメな奴だからみんなより怒られるんだ、ちゃんとしないと。でも・・・もうやだよ」
はじめは私が未熟だからと思って、女性講師に言われたこと全てを聞こう!直そう!と思っていたけど、否定されることが続くことで女性講師に対して苦手意識が出てきて、思い出すだけで気持ちが下がるようになっていました。
ただ、女性講師とのモヤモヤとは別で、ここで共に学ぶメンバーからのポジティブな刺激は存分に受け、次第にこう思うようになっていったんです。
私 「私、もっと強くなりたい。もっと輝きたい。藤井さんちの奥さんじゃなくって、誰々ちゃんのママじゃなくって、藤井奈津子として生きたい!」
そして、自分には何ができるか?と問い続けて1ヶ月たったころ、ふっと頭によぎったんです。
私 「パーソナルカラー診断を受けた時の感動をたくさんの人に伝えたい」この時に女性講師にも私に芽生えたカラーコンサルタントになる夢を伝えたんです。一応ね、このセミナーがきっかけで起こった事だったんでね。すると、
講師 「あなたにそんなセンスあるの?無理だろうけど、まぁ頑張って」
私 「はぁ・・・はい。(最後までなんか嫌な感じ。あなただって昔はダサかったくせに!私はきっとやり遂げてみせる!!)」
女性講師とのやりとりはとにかく恐怖でしたが、夢を持った人たちと接していたことで、次第に私は〝何か新しい自分になれるのかもしれない〟と思うようになり、カラーコンサルタントを一生の仕事にしたいという希望が芽生えていったのです。

 

 

◆カラーコンサルタントまでの道

アパレルメーカーに勤めていても地味で垢ぬけなかった私。
これまでは見た目に自信がなかったけど、パーソナルカラー診断で色の効果を知ることで、似合わない服を着ていたことがわかり、身につけるものをとにかく全部変えることで、見た目の変化に自信を持てるようになり、だんだんと毎日が楽しくなっていったんです。
そして、〝この感動をたくさんの人に伝えられる私になる!〟と、これまでの人生ではじめて、自分で決めた目標を持ったのででした。
先日診断して頂いた、日本で第一人者の母ほどの年齢のカラーコンサルタントの先生に講師を頼み込んで、1年間みっちり学び続け、〝パーソナルカラー診断を誰もが受けるように日本の文化にしていきます〟と宣言し、先生から言われたことは会社を休んでも、家族を犠牲にしても全てYes!とにかく、全てやっていたんです。すると、
色先生 「私もいつまで働けるかわからないから、後継者を育てていきたいと思っているの。藤井さんの熱意なら、私の仕事を任せられるかもしれないわ」
私 「そ、そんな!嬉しいです!!先生に一生ついていきます!!」
しかし、1年間のカラー講座の卒業目前で、その関係性に変化が訪れます。
その頃、弟子として、先生の仕事のお手伝いをしていたんですが、ちょうど仕事の打ち合わせをしていた時に、私に一つの仕事の依頼メールが来たんです。
私 「先生。今、先日お会いした吉田さんからお仕事の依頼がきました!」
色先生「あら?私のお客さんがどうして藤井さんに仕事の依頼をするの?」
私 「んー?・・・わかりません。先日名刺交換をしただけですし、メールには理由は書いてないですね。先生、一緒にやっていただけませんか?」
色先輩「藤井さん!あなた、先生を利用しようとしてるの?」
私 「先輩!いえ、そんなわけじゃありません。私では力不足ですし、吉田さんは私のことを先生の窓口だと思ってるんじゃないですか?先生、お願いします!」
色先生 「・・・いえ、やりません。」
私 「え?どうしてですか?」
色先生 「あなたはわかっていないようだけど、あなたには常識がないからですよ。でもね、あなたにその仕事ができるわけがないわ。やれるものならやってみなさい」
私 「先生~なんでそんなこと言うんですか?常識ってなんですか?私にはできません。先生に依頼してくださいって返信しますから。私は先生が大好きなだけで、ずっとそばにいたいので、そんなこと言わないでください!」
色先生 「あなたは・・・女優なの?そんな言い方して」
私 「へへへ、女優って何ですか~?」
色先生 「何を笑っているの。そういうところが常識がないと言っているんです。好きなだけではビジネスにはなりません。」
私 「でも・・・」
色先生 「あなたには本当に女性がビジネスをしていく上での常識がない。あなたにビジネスなんか、できるわけがないですね。」
私 「・・・(私が何をしたの?どうしてこんなことに?)」
こうして突然言い渡されたクビ。1年かけて学んできた講座の卒業をもって、協会から離れるしかないという状況になりました。
私 「私がなにをしたの?」
大好きだった先生との楽しかった思い出がグルグル頭の中をかけめぐり、先生からの拒絶と恐怖の言葉を思い出しては涙が止まらない。その後、何度か日中に先生から「あなたは誤解しています。一度話しましょう」というメールや着信があるだけで、仕事が手につかなくなり、トイレに駆け込んで泣くという繰り返し。会社のトイレで泣いていると地面がグラグラして、パニックを起こしそうになっていました。
来る日も来る日も、泣き続けて1ヶ月たったある日。
その日の夜も自宅で、ふと絶望を思い出し涙して、だんだんと声を上げて泣いていたら、私の膝に2歳と4歳の娘が寄ってきて、泣いている姿を見たんです。
娘たち 「ママ~泣かないで~ママ~ああああ~」
私 「あれ?なんであなたたちが泣いてるの?」
娘たち 「ママ~泣かないで~あああ~」
私 「・・・(私の声は届いてない。パニックだ。もしかしたら、これまでずっとこの子達も泣いていたのかもしれない。)」
私はひたすら自分の世界に閉じこもって1ヶ月泣き続けていましたが、この子達もまた、泣いている私を見て、1ヶ月泣き続けていたんです。
小さな二人が抱き合って、私を見ながら泣いていた。
私はそんな娘たちの様子に全く気がつかなかったんです。
娘たちには、私しかいないのに、私は自分の世界に閉じこもって、やっと見つけた夢が断たれた絶望の中、ただひたすら一人で泣いていた。
この1ヶ月間、家事もろくに手につかなかったので部屋は散らかり放題、キッチンも汚れたお皿が山積み、そして隣で娘たちがワンワン泣いている。
私 「なにこれ、地獄絵図だ・・・私、泣いてる場合じゃなかった・・・」
今の惨状に気づき、ようやく現実に返ってきた私は泣き止むことができ、
母として立ち上がったのです。
私 「私はこの子達の母親だ。私、強くなる!」

 

◆売り方を学ぶネット起業セミナー

自分の世界から外に出た私は、次のことを考え始めます。
〝カラーコンサルタントのスキルはついた。あとは実践を繰り返すのみ〟
そして出てきた問題が、このパーソナルカラー診断をどうやって売るか?
ということ。カラーコンサルタントの先生からは、スキルは学んだけど、売り方は教わっていなかったんです。
私 「むしろ先生も苦労していたのかもしれない。だから自分のお客さんが私に取られたと思って、怒ったんだろうなぁ」
冷静に自分のこれまでを振り返ってみると、カラーコンサルタントになるために、100万円以上使ったけど、全く回収できていない。どうしたらいいか、誰を頼ったらいいかわからなかった私が辿りついたのがSNSでした。
仕事をしながら、ひたすらSNS上の〝コンサルやります!〟という人と連絡を取り、1ヶ月で10人以上の人と話しました。話をしていくうちにだんだんと、ビジネスの形はいろいろで、どんな形でもお金を稼ぐことが出来れば生きていける、などこれまでの会社員としての働き方がベースになっていた私の考え方が少しずつ変わってきたように思うんです。
その中でも、ひときわ輝いて見えたカリスマ性のある女性経営者の方とオンラインで話したときに、こう質問してみたんです。
私 「私のカラーコンサルの仕事は売れますか?売り方を教えてくれますか?」
ヒカリ 「アナタなら絶対に売れるでしょ。いつからやるの?会社辞めて5年後なんて馬鹿なこと言わないで、今からやるしかないよ」
私 「は、はい!!ついていきます!!」
そして、そこから1年に渡るパーソナルカラーの商品を売るためのコンサルが始まりまったんです。
これまで同様、言われたことは何でもやりました。ターゲットは婚活女性がいいと言われたので、その人向けにバックエンドという高額商品を作ったり、小冊子を作るように言われるとパソコン初心者でしたが小冊子を作ったり、メールマガジンで情報を発信するように言われると、毎朝3時に起きて文章を書いて、7時に配信するスタイルで、とにかく毎日発信していきました。
しかし、言われたことをひたすら半年間、全部やったのに、何ひとつ売れない。他のメンバーはどんどんバックエンドを売っているのに、私だけが何も売れない。すると、だんだんとヒカリさんの雰囲気が変わってきたのです。
ヒカリ 「なつこはさ、本当ここまでやってるのになんで何も売れないの?」
私 「すみません・・・(でも売れる気がしないです。本当に私はこの商品売りたいのかな)」
ヒカリ 「本当なつこはバカだから。静かにしてなよ。」
私 「へへへ・・・(商品が売れないとバカってことなんだよね?)」
講座で作った商品が売れる気がしない。でも売らないと怒られる。
どうしてお金払ってるのに逆ギレされて、私が怒られるの?
そんなことも、もう誰にも相談できない。
私が自分で決めて、自分でお金を払ったこと。でも何にも稼げない。
一緒に学んでいる仲間に相談すると、コソコソ連絡とってるんじゃないって、ヒカリさんににまた怒られる。
私 「ヒカリさんを信じてついて行ってるのに、どうして怒られるの?」
極めつけが、ヒカリさんが主催する地方開催のセミナーに行った時のこと。
ヒカリさん自身がコンサルを受けているという神木先生ご夫妻を招いて〝夫婦で働く〟というセミナーした際に、セミナー内容に興味があった私は、東京から飛行機に乗り、会場の準備を手伝おうと早めに会場に伺ったんです。
そこで、ヒカリさんは神木先生に、私をこう紹介したんです。
ヒカリ 「この子は何をやっても売れないポンコツのうるさい奴なんで、放っておいて大丈夫です」
神木 「ほう~」
私 「・・・(あれ?そんな風に思ってたの?そんなのってある?口悪すぎじゃない?私はこの人を信じてついてきたけど、この人には私はバカでお金を払う奴にしか見えてなかったのかも。なんだぁそうだったのかぁ。ガクン)」
何をしても上手くいかない。どこにも居場所はない。
そして、そのセミナーの夜の懇親会で、苛立っていた私はひたすら酔っ払い、講師の神木先生を私の前の席に呼び、これでもかというくらい絡んでいったんです。
私 「私のこと、バカって紹介されてましたけど、バカじゃないですから!」
神木 「そうかぁ。しょうがないよ、バカなんだから。がんばれ~!」
私 「だから私はバカじゃないんです。私のどこがバカなんですか?」
神木 「ん?そうかぁ。しょうがないよ、バカなんだから。がんばれ~」
私 「ムキーー!!だからどこがバカなんですか?」・・・の繰り返し。
大人になってバカって人に言う人たちって、どういう神経しているの?
だいたい、バカってどういう意味なの・・・?
新しい事を学びたい。新しい自分になりたい。ここではないどこかに行きたい。
でもそれが叶わず、どこにいてもぬぐえない、まとわりついてくる虚しさ。
東京に返ってきて、仕事に戻っていても、〝ここではないどこかへ〟という、自分の中に芽生える新たな感情が抑えられなくなっていきました。
そして、そんな時に主人からこんな提案があったんです。
主人 「富山に来て、僕のことを支えてくれないか?」
どこに行っても私は誰にも必要とされてない。
どうせバカだし、誰の期待にも応えられない。
そんな時にかけられた主人のサポートと言う役割と移住の話。
私「東京になんて未練はない!富山に行く!!」

 

次回、<第三章 移住という地獄>につづく